前回の続きです。
私の父方の祖父の思い出。
引き続き当時の日記を
ほぼ原文ママ使ってます。
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私のおじいちゃんは
スーパーおじいちゃんだと思う。
おばあちゃんが先に体が弱くなってから
何年間もおじいちゃんが自分で
介護をしていた。
介護をしていた。
一人になってからも、子供たちの
世話にはならずに一人暮らしをしていた。
でも、そんなスーパーおじいちゃんも
ここ数年で徐々に弱ってきた。
風邪を引くと肺炎になっちゃって、
一番大きな変化は、
気持ちが弱くなっていることだった。
体調が悪くなっているときに
周りの皆から
周りの皆から
「頑張って」「元気になって」
って言われるのが辛かったみたい。
もうこれ以上頑張れないって。
90歳を過ぎて尚、
更に生きることを励まされるのは
辛いのかなぁ。
もうそろそろおばあちゃんのところに
行きたいのかなぁ。
私たちみたいな若い者には
分からない境地だよね。
そういうところも
寂しかったのかもしれない。
90歳を過ぎて尚、
頑張る必要はないんだよね本当は。
少しずつ、ゆっくり、
自分のペースで日々を過ごしていければ
それで十分だったんだよね。
新しい年を迎えるよりちょっと早く、
おじいちゃんは先に逝った。
今日会ったおじいちゃんは
とても静かな、おだやかな
表情をして眠っていた。
とても静かな、おだやかな
表情をして眠っていた。
だけどやっぱり
命の抜け殻になっていた。
命の抜け殻になっていた。
最後に話したのは10月上旬。
中国で買ったマグカップを
渡しに行ったとき。
父がおじいちゃんに
「ちゃんこが中国出張に行く」
という話をしたら
という話をしたら
中国の白い湯のみを
買ってきて欲しいと言付けられた。
買ってきて欲しいと言付けられた。
そのおじいちゃんへのお土産を買うのが、
出張中で一番大変だったかもしれない。笑
旅行じゃないから自由時間ないし、
スケジュールびっちりでお土産屋さんに
立ち寄るタイミングもないし。
最後、日本へ帰る飛行機の
搭乗時間過ぎてギリギリのところで
走りながらなんとか見つけて、
買ってこれたのが、これ。
ご覧の通り、どこにでも
売ってそうな大量生産品。
売ってそうな大量生産品。
牡丹の花も
手描きとかじゃなく、
ただの印刷。
それでも、おじいちゃんは
この湯飲みをとても褒めてくれた。
「この白さがいいんだよなぁ~、
日本ではこの白は出せないんだよ」って。
それが本当かどうかは分からないけど、
とにかくおじいちゃんは喜んでいた。
中国の陶器は良いもんじゃ、とか
この白が綺麗なんじゃよなぁ~とか
牡丹の色がええなぁ~とか
湯のみをさわって、大切そうに
見回しながらずっとそんなこと言ってて。
その言葉はどうやら
お世辞なんかじゃなくて
私がいないときでも伯父さん達に
「これはちゃんこが
中国で買ってきた湯飲みだ」
と何度も言っていたみたい。
この白がいいんだよ、と。
本当に気に入って
くれていたんだって。
くれていたんだって。
でも、それだけじゃなかった。本当は。
留学中に送った手紙も
全部、全部、
そんなの全然知らなかった。
孫が何気なく送っていたものが、
こんなにも、響いていたなんて。
そういえば92歳のころに
当時私がバイトしていたカフェへ
お茶を飲みに一人でひょっこり
遊びに来てくれたりもした。
「おじいさんがちゃんこのことを
探しているよ」ってバイト仲間が
教えてくれて
前触れもなかったから
びっくりしてフロアへ行ったら
一番奥の席でおじいちゃんが
座ってた。
ちょうどお客さんも少なかったし
みんなが気を遣って
私に仕事をサボらせてくれた。
最後に会った時も、
またお茶を飲もうって
言ってくれていたのに。
ただの口約束になっちゃった。
外へ出かける元気がないんなら、
私が行って淹れてあげればよかった。
三が日を過ぎたら
最後のお別れが待っている。
その時に気持ちを込めて
送り出してあげよう。
95歳、大往生。
お悔みなんて必要ない。
素晴らしい人生を立派に、充分に、
生き抜いたことをお祝いしよう。
そんなことを話しながらも
みんなは泣いていた。
きっとそれは純粋な、
別れを惜しむ涙なんだと思う。
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もう7年も前の話でした。
12月31日に亡くなったおじいちゃん。
12月24日は元気で、伯父さん達と
郊外へドライブに出かけて
そしたらちょっと体調悪くなって
27日から入院していた。
原因はいつもの肺炎で命に別状はなく
2週間で退院する予定だった。
31日の午前0時30分頃
おむつを替えてほしくて
おじいちゃんは自分で
ナースコールを押した。
すぐに看護婦さんが来てくれて
10分くらいでまた出ていった。
そして、そのたった30分後
午前1時の巡回の時には
午前1時の巡回の時には
既に息をひきとっていたという。
きっと
オムツ替えてもらって
すっきり安心して
さぁ寝ようかと
息を吐いたときに
油断して魂も一緒に
外に出てきちゃったんだろうなぁ。
素直に、なんか羨ましい。
私たちは
生き方は選べるけど
死に方は選べない
生き方は選べるけど
死に方は選べない
いつか私も来るべき時は
こんな風に静かに、さりげなく、
人生を終えられたらいいな。
おしまい
チャンポンと一緒におじいちゃんの
お墓参り行ってきました
↓↓↓
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よろしくお願いします( ˘ω˘ )
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コメント
コメント一覧 (33)
いつも楽しく読ませていただいてます。
昨夜、離れて暮らす老いた両親の様子を見に行って戻って来ての今朝のちゃんこさんのおじいちゃんのお話は涙が止まりませんでした。
おじいちゃん
お幸せでしたね。
大往生だったと思います。
おじいちゃんはこんなに優しかったお孫さんの幸せを見守っててくれてますね。
いつもブログの更新お知らせを楽しみにしています!
私も、中学生の時に天国にいった祖父の事を思い出しました。祖母は優しく、いつも側にくっついて話したり遊んだり、何もすることが無くても隣で本を読んだりと大好きなおばあちゃんでしたが、祖父はちゃんこさんのおじいちゃまと本当に同じようでした。
寡黙で頑固で近寄り難いで、あまり遊んだり話した記憶がありません。ちゃんこさんの今日のお話を読んで、私ももっと祖父と話せばよかったと、色々な子供の頃を思い出し、涙涙です。
次回お墓参りに行った時に、心の中で話して見ようと思います。ありがとうございました😌
うちの、母方の祖父も 頑固で 気難しいタイプでした。おんなじです。
残念ながら、75くらいで 病院で亡くなってしまいましたが、、、
思い出します。若い時には、勤めていた会社で 宿直の日 泥棒が入って 裸のままで 商店街を追いかけて 新聞に載ったそうです。
もう一度、会いたいなあぁ、、、、(´・ω・`)
まだ働き盛りだった二人なので、悲しくなかったわけではないのですが、お葬式では皆口々に「あの世で二人で酒盛りしてるやろうなぁ」と言ってました。
お祖父様もお祖母様とお茶を飲みながら、ちゃんこさんとご家族を見守っていることでしょうね。
あー、もう涙が止まらなぐでー(ノ_<。)
ごめんなさい、言葉にならないー。゚(゚´Д`゚)゚。
素敵なお話ですね。
素敵なお祖父様に、素敵なお孫さん。
胸がいっぱいで、それしか言えません。
久しぶりにこんなに涙を流しました。
おじいさん、大往生!
私も毎年一度は子供達を連れて祖父母に会いに行ってました。今は祖母だけになってしまいましたが、毎回嬉しそうに迎えてくれるので子供達も大好きです。
中国人は年上を敬い心が自然と出来て凄いなと思います。先日、旦那の両親とちょっと喧嘩して気まずくなった時に、お掃除のオバさんに"絶対にこの先も普通に接しなきゃダメ!先輩なんだから!"と言われたのを思い出しました。
今回はほんとに涙なしでは読めませんでした。
うちの父方のじーちゃんも90代なので、やっぱりちゃんこさんとおじいさまのエピソードに
重ねてしまって。
おじいさまはちゃんこさんのこと、可愛くて仕方なかったんでしょうね。
言葉には出さなかったとしても、手紙を何回も読み返したり、お土産の湯のみを大切にしていたことからも、
それが伺い知れました(。´Д⊂)
おじいさまはちゃんこさんがいて、とても幸せだったろうなぁ。
遅くなりましたが1周年おめでとうございます🎉✨😆✨🎊
私の祖母も今同じくらいの年齢なので
もうそろそろかと覚悟はしておりますが。
ちゃんこさんのお祖父様のように足腰が強くないので
本当に今なんのために生きているのかと
言うこともあります。
ちゃんこさんのお祖父様のように
穏やかな最期だといいのですが
本当にそればかりは分かりませんよね。。。
母方の祖母ですが、もう一人だけなので孫代表として
もっと沢山会って会話をしておきたいと思います。
良いお話をありがとうございました。。
おじいさまとの思い出 とても心にしみました。
ちゃんこさんのことは とても可愛い自慢の孫だったんでしょうね。
そんな関係は凄く暖かくて、とてもホッコリして羨ましいです。
私も私の娘にも そんな思い出が欲しかったな。
私は父との関係は最悪です。価値観の違いが心まで遠ざけてしまいます。いつか 父が天国に召されるその時までには 笑顔で話せる時が来るのでしょうか。
ちゃんこさんの優しい文章に心が温かくなりました。ありがとうございます。😃
お祖父さんも自慢していたんですよ。孫の事を。
ちゃんこさんのブログを読んで、しまったままの絵葉書を父方の祖母、母方の祖父母に送ろうと思いました。亡くなった祖父にも届くといいな。
とても温かい気持ちになりました😌
コメントありがとうございます!!
とてもタイムリーなタイミングだったんですね( ;∀;)
中国の友人の言葉を借りますが、あいちゃんさんのご両親は
あいちゃんさんの顔を見れてとても嬉しかったと思います!
私も両親と過ごす時間を大切にしていきたいです( ˘ω˘ )
コメントありがとうございます!そしていつも見てくださってありがとうございます~~( ;∀;)
同じですね!!お祖父さんの様子が、うちのおじいちゃんと似てる!!!(笑)
そして私もおばあちゃんっ子でした。昔からずっとおばあちゃん大好きです。
私が女子だからっていうのもあると思いますが、やっぱりおばあちゃんの方が総じて接しやすいのかもしれないですね。でもおばあちゃんが孫の私たちをかわいがってくれるのと同じ気持ちを、おじいちゃんもきっと抱いていたはずなんですよね。不器用なだけで。でも子供の頃はやっぱり表面的な部分しか見えないから、分からないのもしょうがなかったんですよね( ;∀;)
お墓参りしてあげたらお祖父さん嬉しいと思います!!(ノД`)・゜・。
きれいなお花買って行ってあげてください(*´ω`*)
コメントありがとうございます!!
りょうつぃんさんのお祖父さんも気難しいタイプだったんですね(*´ω`*)
泥棒を裸のまま追いかけて・・・!!って!すごいですね!!
そういう昔の頃のエピソードがりょうつぃんさんにも語り継がれてるってステキですね。
考えてみたら私はおじいちゃんの具体的な昔のエピソードを何も知らないなと思いました。もっと昔話を聞いてみればよかったなぁ・・・( ;∀;)
中国の仕事をすこししていたこともあって、中国関係のネタが好きで拝読させていただいています!
おじいちゃまとの想い出のお話、いろんな意味で心に沁みました。
誰といつお別れがあるかわからないから、逢いたいひとには沢山アクションします。
有難うございます。
在韓邦人さんのお父様は働き盛りの頃に
亡くなられてしまったんですね・・・(ノД`)・゜・。
ショック大きかっただろうなぁとお察しします( ;∀;)
仲が良すぎて追いかけていっちゃったんですかね( ;∀;)
天国で楽しく過ごされてるといいですね!
私のおじいちゃんもおばあちゃんとのんびりしててくれてるといいなぁ~
うう・・・ありがとうございます・・!!!( ;∀;)
おじいちゃんがバイト先に電撃訪問してきた時のことは一生の思い出です。
びっくりしましたが、やっぱり嬉しかったですよね。うちの親も来たことなかったのに!w
いろんなことをきっと気に入ってくれてたんだろうなぁと思います( ;∀;)
うえええーーーん(ノД`)・゜・。
嬉しいお言葉ありがとうございますーーー!!
ちゃんと伝わる文章書けてたんだと安心しました(*´ω`*)
初めまして!コメントありがとうございます!!
私が、jasmineさんのおっしゃるところのステキな孫になれたのはほんと、あの中国の友人の言葉があってこそです。
それがなかったら私はきっと最後までおじいちゃんとの思い出がないままだったような気がします( ;∀;)
ありがとうございます!!大往生でした!!\(^o^)/
中国人の年上を敬う心・・・本当にすごいですよね。
ナチュラルに身についてる感じ。お世辞とかじゃなく本心で思ってるし実践できるところは見習わなきゃなぁって思います( ;∀;)
さりぃさんとこの掃除のおばさんすごい!!!そうですよねー人生の先輩なのは間違いないですもんね( ;∀;)
でも私だったらケンカの内容次第では素直に受け止められないかも(笑)
あとは掃除のおばさんがさりぃさんとこのケンカの話を知ってるのもすごいw
うう~~!!なないろさーーん!!ありがとうございます!!( ;∀;)
ねー、うちのおじいちゃん、不器用でしたねー( ;∀;)
でも思うに、90歳を過ぎて気持ちが弱ってきた時になって、私のお茶も湯呑も手紙も胸に響くようになったのかもしれないなぁ~ってちょっと思います。
もしかしたら私が子供の頃の若いおじいちゃんは我が道を行くスタイルが強かったので・・・どうだったかは分かりません。だんだん孫の存在が大きくなってきたのかも・・・( ;∀;)なんて・・・
コメントありがとうございます!!!
なぜかあの時の私には友人の言葉がグサッと刺さったんですよね。。。
晩年のおじいちゃんの心のよりどころになれていたら幸いです( ;∀;)
次は2周年に向けたぼちぼちがんばりますーー!!\(^o^)/
私の母方の祖母ももう90歳過ぎていて、島豆腐さんのお祖母さんと同じで
足腰が強くないので基本はいつもベッドの上、補助器具を使いながらトイレへ
行って戻ってくると息切れしたりしててつらそうです。
私の祖母は気が強い人なのであまり弱音は吐きませんが、内心は島豆腐さんの
お祖母さんと同じように「今はなんのために生きているんだろう」とか思うこともあるのかもしれないなと思いました・・・私たちも常にポジティブでいるわけじゃないですし、気が強いおばあちゃんもネガティブになることあるだろうなぁ・・・( ;∀;)
私もまたおばあちゃんに会いに行こうと思いました!!ありがとうございいます!!
どんな人生を歩んでいてもその最期の瞬間がどうなるかは誰にも分からないんですよね。ちょっと前にニュースになってた、身動きできない車いすのおばあさんがスズメバチに襲われて亡くなってしまった話は本当に胸が痛みました。ハチの群れに刺されて、最後、どんな想いだったんだろうかと・・・(ノД`)・゜・。
コメントありがとうございます!!
私とお爺ちゃんがそれぞれ年齢を重ねて、また新しく思い出を作れたのは、
良くも悪くも長い間あまり接点がなかったからなんだろうなぁと思います。
価値観の違いをはっきりと認識してしまうと、そのイメージを払拭するのは本当に難しいことだと思うのです。私とおじいちゃんの間に確執があったら、こうはならなかったはずです。大人になればなるほど頑固になると思うので、こういう壁を乗り越えるには私たち若い者が強い意志を持って一歩譲る覚悟を持たないといけないんだろうなぁと思います・・・( ;∀;)私も頑固なので腑に落ちない部分があったら絶対行動に起こせないと思いますが(笑)
ばにこさんたちにもいつか、何かよいきっかけがありますように・・・!陰ながら祈ってます( ˘ω˘ )
ありがとうございます!!コメントも読んで下さって嬉しいです(*´ω`*)
みなさん様々な形でおじいさんおばあさんへの想いがあるんだなぁと思いました( ;∀;)
人の良さは別れて初めて気づくってのは本当にそうだと思います。
本当は元気なうちから顔を見せにいけばいいのに、やっぱり私たちには自分の日常生活があるからなかなかそちらに時間を作れなくて・・・でも例えば入院した!とか命の有限性を実感した時にはすぐに駆け付けられるんですよね。だから普段から時間は作ろうと思えば作れるはずなんですけど・・・頭ではそう思っていても、いざ行動に移すのは難しいんですよね( ;∀;)
コメントありがとうございます!
留学中に・・・( ;∀;)最後駆けつけられなくてみいさんもさぞもどかしい想いだったかと思います。。。送れなかった絵はがき、ぜひ送ってあげてください!!!その一枚のはがきは、私たちが想像している以上にとっても大きなプレゼントになるんです!( ;∀;)
天国のお祖父さんにもその気持ちはきっと届くはず!!!(ノД`)・゜・。
コメントありがとうございます!!!
にゃ。さんは中国とお仕事されていたのですね!
最近あまり書いてなかったので
私もまた中国関連のネタを書かねば・・!!(゚∀゚)
本当におっしゃる通りですよね。
この世に生を授かる順番通りにこの世を去っていくわけではないですもんね。
自分よりも年齢を重ねている祖父や祖母はなんとなくいずれ来るお別れのことを想像しやすいですけど、まだ初老の自分の両親とか、兄弟とか、友達とか・・・いつ、どこで、何があるか分からないんですもんね( ;∀;)
人間関係めんどくさく感じる時もありますが、やっぱり会いたいと思える人にはどんどん会っておこうと思いました。ありがとうございます!!!
中国茶も大好きなので、いつか、中国茶教室もいきたいです!
おおお!すみません!ご丁寧にありがとうございます!!中国茶イベントもぜひぜひー\(^o^)/一緒にお茶しましょう!
今日のご祖父については………、泣いちゃいました。
合掌