私の家系図の話です。

空気読まずにもう少し
続けますよ!!(笑)


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すごい膨大な情報量となったのが
私の母方祖父の家系。

高橋家(仮名)。


しやう5




舞台は青森県。

今回の話の主役は
「しやう」という女性です。
私のひいおばあちゃん。

73-46



「しやう」は1886(明治19)年
「高橋伊助」と「いそ」の間に生まれます。



しやう1



「しやう」には
3人の兄弟がいましたが

次男と三男の二人は
生まれたその年に亡くなってます
(ノД`)・゜・。


しやう1-2





ちょっと話は逸れますが
「しやう」の弟である長男「夛作」は


しやう4 - コピー


妻「ハル」に先立たれ
再婚した「むめ」にも先立たれ

夛作自身は1937年に樺太で
その生涯を終えています。



樺太・・・って!!!


樺太


どんな思いだったんだろうなぁ


きっと戦争関連
だったんだろうけど

どういう経緯で
その場所に行くことになったのか

どうしてその場所で
命を落としてしまったのか


本当気になる。。。



ちなみにこれが
現在の樺太のオハという町。

サハリンオハ

こういう時ストリートビューって
本当おもしれぇ。。。



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話は「しやう」に戻りまして。




きっと「しやう」の高橋家は家系を
重んじる家柄だったんでしょうね。


父・伊助は
作太郎」という男性と養子縁組をして
娘「しやう」と
結婚させてます。



しやう2 - コピー


「しやう」は作太郎との間に
長女「たみ」を授かります。


・・・が、どういうわけか
「しやう」は「作太郎」と離婚。


今度は永井家の五男「敏夫」が
高橋家の養子となり「しやう」と結婚。



しやう3-2

ここからがすごい。




しやうは敏夫との間に

敏博、たき、スミ、文一、三郎、
さな、勇、義光、正、フサ・・・と

子供を10人も産んでます。


しやう4


しかしそのうち
三郎、さな、義光の3人は
1歳未満で亡くなってしまっています。


昔は今よりも赤ちゃんの生存率が
ずっとずっと低かったのかな。。。


73-48



そして興味深いのがここ。


しやう第一子の「たみ」と
しやう最後の子「フサ」の関係!!



しやうとたみとフサ1



自分の娘同士を養子縁組させる

って、どういう心境なんだろう。


そして

17歳から43歳まで子供を産み続けた
しやうの体力すげぇ。。。




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73-47



しやう四男であり、
ちゃんこ母方の祖父「勇」は

1946年10月9日、26歳の時に

東京の「加藤トメ」さんと
養子縁組して「加藤勇」になりました。



しやう5



勇じいさんが養子に入った話は
おばあちゃんから聞いたことがあって。


第二次大戦中に海兵として
横浜で下宿していた若き勇じいさん。


その下宿先の主が加藤トメさんで
たいそう気に入られて
「私の息子になってくれないか」と。


養子縁組したのが1946年だから
戦争が終わって海兵さんたちが
任務を終えて自分の故郷へ
帰ろうという時に・・・


帰ってほしくなかったのかも。。。


加藤トメさんは
はるばる青森まで出向いて
しやう達にお願いをして

勇じいさんとの
養子縁組が成立したそうです。


しやうはどんな心境だったんだろう・・・

そして26歳で
加藤家の息子となった勇じいさんは
どんな気持ちだったんだろう。。。


その加藤勇さんの娘が
ちゃんこの母親です。



人生って、ドラマチックですよね。



戸籍の情報だけでこんなにも
人生が見えてくるんです。


すごいですよね。。。





おしまい

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