私の家系図の話です。
空気読まずにもう少し
続けますよ!!(笑)
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空気読まずにもう少し
続けますよ!!(笑)
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すごい膨大な情報量となったのが
私の母方祖父の家系。
高橋家(仮名)。
高橋家(仮名)。
舞台は青森県。
今回の話の主役は
「しやう」という女性です。
私のひいおばあちゃん。
私のひいおばあちゃん。
「しやう」は1886(明治19)年
「高橋伊助」と「いそ」の間に生まれます。
妻「ハル」に先立たれ
再婚した「むめ」にも先立たれ
再婚した「むめ」にも先立たれ
夛作自身は1937年に樺太で
その生涯を終えています。
その生涯を終えています。
どんな思いだったんだろうなぁ
きっと戦争関連
だったんだろうけど
だったんだろうけど
どういう経緯で
その場所に行くことになったのか
その場所に行くことになったのか
どうしてその場所で
命を落としてしまったのか
本当気になる。。。
命を落としてしまったのか
本当気になる。。。
話は「しやう」に戻りまして。
「しやう」は作太郎との間に
長女「たみ」を授かります。
長女「たみ」を授かります。
・・・が、どういうわけか
「しやう」は「作太郎」と離婚。
「しやう」は「作太郎」と離婚。
ここからがすごい。
しやうは敏夫との間に
敏博、たき、スミ、文一、三郎、
さな、勇、義光、正、フサ・・・と
さな、勇、義光、正、フサ・・・と
子供を10人も産んでます。
しかしそのうち
三郎、さな、義光の3人は
1歳未満で亡くなってしまっています。
三郎、さな、義光の3人は
1歳未満で亡くなってしまっています。
昔は今よりも赤ちゃんの生存率が
ずっとずっと低かったのかな。。。
ずっとずっと低かったのかな。。。
自分の娘同士を養子縁組させる
って、どういう心境なんだろう。
そして
17歳から43歳まで子供を産み続けた
しやうの体力すげぇ。。。
しやう四男であり、
ちゃんこ母方の祖父「勇」は
ちゃんこ母方の祖父「勇」は
1946年10月9日、26歳の時に
東京の「加藤トメ」さんと
養子縁組して「加藤勇」になりました。
東京の「加藤トメ」さんと
養子縁組して「加藤勇」になりました。
勇じいさんが養子に入った話は
おばあちゃんから聞いたことがあって。
第二次大戦中に海兵として
横浜で下宿していた若き勇じいさん。
横浜で下宿していた若き勇じいさん。
その下宿先の主が加藤トメさんで
たいそう気に入られて
たいそう気に入られて
「私の息子になってくれないか」と。
養子縁組したのが1946年だから
戦争が終わって海兵さんたちが
任務を終えて自分の故郷へ
帰ろうという時に・・・
帰ってほしくなかったのかも。。。
加藤トメさんは
はるばる青森まで出向いて
しやう達にお願いをして
勇じいさんとの
養子縁組が成立したそうです。
養子縁組したのが1946年だから
戦争が終わって海兵さんたちが
任務を終えて自分の故郷へ
帰ろうという時に・・・
帰ってほしくなかったのかも。。。
加藤トメさんは
はるばる青森まで出向いて
しやう達にお願いをして
勇じいさんとの
養子縁組が成立したそうです。
しやうはどんな心境だったんだろう・・・
そして26歳で
加藤家の息子となった勇じいさんは
どんな気持ちだったんだろう。。。
その加藤勇さんの娘が
ちゃんこの母親です。
人生って、ドラマチックですよね。
戸籍の情報だけでこんなにも
人生が見えてくるんです。
すごいですよね。。。
おしまい
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よろしくお願いします( ˘ω˘ )
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コメント
コメント一覧 (16)
自分のルーツにもドラマありですね!
私も自分のルーツすごく興味ありつつ、戸籍までは辿ってないので、ちゃんこさんの家系図みてウズウズしてます。江戸末期にどこに住んでいたかは知っていて、ずっと今の町にいたのなら「天保」までさかのぼれるらしいんですよね。
私も近いうちにやってみたいですね(^^)/ 実家にはまだ、着物で髪を結っていた頃の写真があって、名前と顔が一致したらすごいですよね。
実は、私が嫁いだ先はおじいちゃんの生みの親の実家と遠縁だったりしてます。世の中の狭さと「縁」を感じます。
これぞリアル大河ドラマって感じですねw
( ´艸`)
家長制度があり、長男総取りの時代だから次男以下は大変厳しいお財布事情になると聞いた事があります。
なので、次男以下でいるよりは、養子縁組して継ぐべき財産がある家に行った方が良いとも聞きました。
ちゃんこさんの記事に対して真逆の内容のコメントかもしれませんが、ついつい書き込みにきてしまいました。
ちゃんこさんの記事はいつも楽しみにしています。
彼らには15人くらい子供がいて、一番下の子が最初の頃の子供が産んだ子より歳下(要するに歳下の叔父さんや叔母さん) という状態になっています。子供達のお母さんは、「4人以上子供ができたら、子育ては却って楽になる」と言っていました。上の子に下の子供の面倒を見させるからだって。
ちゃんこさんの家系話しは、とても興味深いです。しやうさんも子育てはロシア風だったのかなぁと想像しちゃいました。
コメントありがとうございます!!
本当にそうなんです!自分のルーツもすごくドラマティック!!
「しやう」さんの人生とか朝の連続テレビ小説になるんじゃないかとか思ったりw
自画自賛入ってますけどねww
Mieさんのご実家に古い写真あるんですね!!それってすごい!!
戸籍の名前と一致したらめちゃくちゃ感動しそう・・・( ;∀;)
そしてMieさんの旦那さんと上の方で家系につながりがあったとか・・・
ドラマティックすぎ!!!
受け継がれてますね。。。リアル大河ドラマ(笑)
誰しも人生とはドラマティックなものなんだなと思ってしまいました。
意外と普通の人生だったりしたとしても、時代が違うだけでなんか劇的に見える気がします( *´艸`)
コメントありがとうございます!!
めいはなさんのお話とても興味深いです!!
そうなんだ~、養子縁組する背景を全然知らなかったのですが、
納得しました。家長制度故のことなんですね。。。
確かに、私の母方の祖父は高橋家の4男でしたが、養子縁組することで
加藤家の家長になったわけですもんね。受け継げるものも多かったんだと思います。
すごい勉強になりました!ありがとうございます!!!
ありがとうございます!!ロマンありますよね~~( ;∀;)
ひいおばあちゃんって会ったことないですけど、
血のつながり的にはそんなに遠くないんですよね。
近いからこそ余計気になるというか。。。
ロシア系ご家族すごっ!!!15人って!!!|д゚)
ちょっとした学校並みですね(笑)にぎやかで楽しそう!
年下の叔母さんとか。。。その親戚関係の感じ、私からしたら
なんか妙な感じがしますが、おもしろーい!!
そしてそのお母さんのお言葉はすごい名言な気がします。
子育ての大変さも臨界点があるんですね( *´艸`)
きっとしやうさんもロシア風子育てだったんだろうなぁと思いました。
面白いお話教えてくださってありがとうございます!
トピックにあがってたので、興味深く読ませて頂きました。
昔は避妊なんぞしないから、多産家族は普通だったんでしょうね。
一人産むのも命懸けなのに、昔の女性は偉大だと思います。
うちの父も、十人兄弟の末っ子で、男兄弟がみんな戦争で亡くなったり、独立したりで、末弟の父が家を継ぎましたが、嫁いだ母は末っ子の嫁として親戚付き合いは大変だったようです。
先祖の月命日も、一人や二人ではないし。
あまりの大変さに、私達三人姉弟が、みんな独身主義になったくらい。
市内にうちと伯父宅の二軒しかない名字の本家も、私達の代で絶えてしまうのは申し訳ないけど、祖母の50回忌で母の嫁としての責務にキリがついたので、後は私達が認知症の母を守って行くだけ。
亡くなった父や、お姫様の嫁入りに医師として京都からついて来たと伝わる御先祖には、お詫びするしかないです。
初めまして!コメントありがとうございます!!
そっかー、昔は避妊も今ほどは普及していなかった・・・
っていうのも大家族になる要因の一つだったんでしょうね。
いのさんのお父さんも10人兄弟って、すごいですね・・・!!
そしてその家に嫁いだお母さんもさぞ大変だったんだろうと思います。。。
しかも50回忌までやるなんて・・・!!
未だに「長男の嫁にはなるな」って言いますしね。家を継ぐって大変なこと。
私も言われましたしw 結局長男と結婚しちゃいましたけど\(^o^)/
もちろんご先祖様のことは大切にしなくちゃいけないと思いますが、
あくまで自分の人生ですし。先祖のために生きているわけじゃないですもんね。
私は私の、いのさんはいのさんの、自分の人生を精いっぱい生きればそれでいいんだと思います。
後世に残せるものはなにも子孫だけではないですしね( *´艸`)
私も、昨年の夏、父方祖父母が亡くなり、相続の関係で家系図の追記・再作成をしようとことがあります。・・・が、昔は子だくさんな上、いとこ同士の結婚や、養子、離婚再婚などがあり、とてもじゃないけど作りきれないと投げてしまいました(^_^;
はじめまして!コメントありがとうございます!!
昔は本当に子だくさんで・・・家系図も登場人物多くなりすぎると
どうまとめていいか分からなくなっちゃいますよね。。。
私は相続とか関係なく単なる興味本位で作っただけなので
どこまで家系図に記載するかは適当に判断してしまいました。
はるさんのように相続のため・・・と目的がはっきりしていると
ちゃんとしたのを作らなきゃ!って思うから荷が重いですよね( ;∀;)
当時は日本人が大勢移住して終戦まで暮らしていたと、学校で教わった記憶があり。
御先祖様もその中にいらっしゃったのかもしれませんね
藤原さん
コメントありがとうございます!
この家系図もそうなんですが、樺太ってどんなところなんだろうと思ってグーグルマップのストリートビューでいろいろ見てみた時期がありまして、神社の鳥居みたいなのを見つけた時はうおお!!ってなりました( *´艸`)