2000年代初頭、私が
北京に留学していた時の昔話です。

※不定期更新※

前回の話
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滞在費用が一番安い寮を選んだ私。



忘れもしない北京への引っ越し初日。

取り急ぎ必要な荷物を
スーツケースいっぱいに詰めて来たので

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しかし格安物件の寮には
エレベーターが無いので
自室のある5階まで
階段で上らなければならず・・・

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寮の入り口のちょっとした段差でも
四苦八苦して絶望していたところへ

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通りすがりの学生さんが
声をかけてくれました。

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二人で運べば何とかなりそうだったので
遠慮なくお言葉に甘えました。

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申し訳ないと思いつつ・・・

なんと本当に一人で
5階まで運んでくれました!

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私一人だったら絶対無理だったので
本当に助かった・・・

心から感謝。

私からは何も御礼ができないので
とにかく「謝謝」言いまくりました。




翌日。

食堂に行こうと外に出たところで
昨日助けてくれた男性とばったり会いました。

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なんとなく自然な流れで
一緒に食堂で食事をしました。

彼の名前は王亜林
なんと私と同じ国際関係学院の院生!
(私は学部生)

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私の北京での最初の友人にして
留学時代を支えてくれた最大の恩人。

彼の助けがなければ間違いなく
私はどこかで単位を落としていた・・・


留学中の一年を通じて
自分が書いた中国語のプレゼンやレポートの
文法や表現方法に自信がない時
いつも王亜林に見てもらっていました。

(院生の彼は学部生よりも
時間に余裕がありそうだったので・・・)

私はそういう下心があって
王亜林を呼び出していましたが、
彼はいつもそれに応じてくれて
しかも丁寧に私の拙い中国語の文章を
添削してくれていました。

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その後も大学では何人か
中国人の友達ができましたが、
彼らに共通するのは多かれ少なかれ
日本に興味があること。


「互相互学」といって一緒に
語学勉強をがんばる仲間みたいな感じで
交流していました。

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しかし偶然出会った王亜林は
特段日本の文化にも日本語にも
興味があるわけでなく

かといって私という女性に
興味があるという感じわけでもなく(笑)

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ただそれだけの関係でした。


中国語も満足に話せない私を
フラットに友人とみなして
付き合ってくれていた
・・・のかな?

それよりも
ボランティア精神的なものが
強かったのかも?

いずれにしても、
間違いなく超いい人。

最初から最後までいい人でした。





留学時代に使っていた携帯が壊れて
当時の連絡先が消滅してしまったので
彼らが今現在どこでどうしているのかは
全く分かりません・・・

連絡先の控えをきちんと
とっておかなかったのが
私の人生最大の後悔です。

しょんぼり



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よろしくお願いします( ˘ω˘ )

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