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( ˘ω˘ )ペコリ

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今回は昔の写真を掘り起こしていた時に
発掘した胸アツな写真を載せまくります!

大学時代に経験した1年間の中国留学の中でも
ひときわ思い出深い出来事の一つ。

それは中国の田舎の農村を
訪問させてもらったときのことです。



私たちが留学したのは北京。
中国の首都ということで
かなり発展した大都市です。

図47
(↑北京の空気は当時からやばい)

図46
(↑渋滞もやばい)

133-41

ということで留学仲間のYちゃんと一緒に
大学内の旅行会社へ相談に行きました。

すると、窓口の張さんが

133-40

というわけでYちゃんと二人して
張さんの実家へおじゃまさせて
もらしたのでした!!!

村の場所は地図で言うとこの辺。
北京から直線距離で300kmくらいは離れてそう。

村の場所2

河北省の中でも内モンゴル自治区が
めちゃ近い場所です。

ここからは当時の日記
(mixiより抜粋)とともにどうぞ。

例によって一人称は「あたし」です(笑)
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張家口というところにある
三里庄という農村に行ってきた。 

大学の留学生寮のとなりにある
旅行会社の張さんの実家へおじゃました。 


まずは北京から列車で4時間。

図44
(↑最寄り駅の張家口駅)

図1
(↑駅前の広場)

図45

図2
(↑毛沢東像と。手が逆だったw)

張家口駅からまた車で1時間。 
途中で乗り合いバスを乗り換えたりした。

図42
(↑乗り合いバスを乗り換えた場所)

図43
(↑田舎っぽくなってきた)

車に乗ってるとき心配になった。
ものすごい荒野をひたすら走ってたから… 

図41

こんなところに村なんか
あるのかなぁ~って笑 

図39

朝宿舎を出発して、
夕方になってやーっとたどりついた。 

そこはある意味で想像通りの
「中国の農村」だったし、
ある意味で想像を超えていた。 

図24

北京とは別世界すぎる。
同じ国とは思えない。 

図31

てか5時間でこんなに
変わっちゃうんだ~と思った。 


図37

図36

ほっとんどの家がレンガ造りの平屋。 
タクシーだのバスだのなんかなくて、
その代わり馬&ロバに荷車引っ張らせてる。

図29

そこらへんで牛が草食ってるし。 

図23

図21

張さん家の庭には
ロバ、牛、ブタが一頭ずついた。 


図20

図35
(↑張さん実家の庭)

生活はとても質素だった。 

たしかに電気は通ってる。
夜は明かりがつくしテレビもある。 

でも料理をするときはかまどだった。
まさにサツキとメイの家みたいな。 

図15

図14

薪(というかトウモロコシの茎、草)を
入れて自分で空気入れて温度調節してた。
ストーブも同じ原理だった。 

図17

図18


水道がないので蛇口はない。

水は水がめに貯めてあった。
そこから必要な分だけ汲み取って
大切に使ってた。

使用済みの水も捨てるのではなく、
別の桶にためておいて撒いたりして再利用する。 

家にお風呂もない。
週に一回、村の公衆浴場で身体を洗う。 

ちなみにトイレは青空トイレ。
ブタのとなりの物陰が肥溜めで。 
斜めに深い穴が掘ってあるだけ。
ニオイは半端ない。

図34

人がとてもあたたかかった。 

張さんのお母さん、いきなりやってきた
あたしたちにも「よくきてくれたねぇ~」
って言ってくれた。

心の底からそう思ってくれているんだなぁ
って分かるような、そんなステキな笑顔だった。
一目ぼれした。 

お母さんのご飯は
本当に本当においしかった!!! 

図33

図32

村の人たちはみんな知り合いで、
困ったことがあったらみんなで助け合う。 

夕飯食べてたら近所の親戚たちが
あたしたちを見にやってきた。 

戸締りとかしてないのか、
みんな当然のように何も言わず
勝手に家の中に入ってきて
「やぁやぁ」みたいな。 
人と人の距離感が近いのかな。

笑顔がステキすぎるのは
お母さんだけじゃなかった。 

みんなすごい楽しそうに
話して、そんで笑ってた。 

うちらのこと珍しがってたけど
全然嫌な感じじゃなくて、
むしろ受け入れてくれるような
あったかさを感じた。 


翌朝、バイクに3ケツして村を走り回った。 

小学校、元・中学校、広場、公共浴場、
親戚や友達の家、いろんなとこ行った。
いろんな人に会った。 


図4

図5

図6
(↑小学校の校庭)

図9

図8

図7
(↑三年生の教室。「普通語を話しましょう」って注意書きがある)

図10

図28

図11

図13

いろんな話聞いた。 

農民の収入が低いこと。
生活の大変さ、特に子供を育てることの大変さ。 

農村の子が大学に入るは大変だっていうことは
知ってたけど、その厳しさを思い知った。

金銭面でも、勉強する環境でも…
子にとっても親にとっても… 
想像を絶する厳しさなんだろうと思った。 

北京大学なんて本当に本当に
途方もないことなんだろうなぁ。。 
だからみんなあんなに熱心に勉強するんだなぁ… 

図40

図12


そして景色が綺麗だった。
いつまでも見ていられる感じ。 

北京にはない、青空があった。
空気がおいしかった。 


星が見えすぎた。天の川見えた。 
どーしよーーーーーもなく感動した。
深く心に沁みた。いろんな人を思い出した。 

今までいろんなところで
いろんな景色見てたくさん感動してきたけど、
あんなにどーにもならない気持ちになったのは
初めてだった。 

とにかくステキだった。
ステキすぎた。 


梨がおいしかった。 
日本であたしあんまり梨食べなかったんだけど、
この梨は本当に本当においしいと思った。 
なんであんなにおいしかったんだろう… 



村の人たちはみんな決まって
「ここは何も無くてつまらないでしょう」
って言う。 

実際なにもない。
あたしはここに一週間も滞在できないと思う。
絶対飽きる。本当に何も無いから。 

でも彼ら自身は全然つまらないとは
思ってないんだろうなぁと思う。

みんな自分の村が好きなんだろうなぁ、って。 
そういう笑顔だった。 


何もないけど、充実してるってこと。 


なんだこれ。 
内モンゴルへ行ったときも
すごく感じた。すごく考えた。 
今でもまだよく分からないけど。。 


最近すごく感じるのは人の存在、その大切さ。 


何も無い場所があるとする。
そこで幸せに暮らすのに
必要なものは何かって考えたら、
それはモノの豊かさじゃない。
便利さじゃない。

お金、それも確かにめちゃくちゃ大事。
でもまずなによりも重要なのは人だよ、人。 

大切な人がそばにいるってだけで、
それだけで毎日楽しいし、
それだけで十分幸せ感じられると思う。 

だから何よりも大事にしなきゃいけないのは
人とのつながり。 

大切にしたいと思える人がいるなら
ちゃんと大切にしてあげないと。
必要なのは思いやりよね。 

そう考えたら人への思いやりって
結局は自分のためなのかなぁ~と思う。
…というか思えるようになった。 


とにかく今回は、一生モノの経験になった。

みんな笑って迎えてくれた。
それがすごくうれしかった。


図16





以上です!

「何もないけど充実してる」
これってすごく幸せなことじゃないかと。

農村での生活は決して
豊かそうには見えなかったけど
それでも疲弊したような感じはなく、
村の人たちがみんな穏やかな笑顔で
にこにこしてたのが心に響きました。


おしまい


<2/1 12:00追記>

今回の記事で、写真に添えた長い文章は
まだ20代前半の大学生だった頃の私の日記の
言葉そのまんまです。

当時の日記を読み返して改めて
「私はやっぱり中国が好きだなぁ」という
あたたかい気持ちを再認識しましたし、
そこから10年経った今、中国と関わっていると
いろいろあったりするけど、
当時の初心を忘れないようにしたいな
という気持ちで今回記事にしてみました。

ちゃんこ



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