大人気ブロガー歌川たいじさん原作の
映画『母さんがどんなに僕を嫌いでも』
試写の感想です。長文です!!

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母さんがどんなに

僕を嫌いでも


・・・って、タイトルがもう辛すぎる。。。


幼い頃から大好きなお母さん・光子(吉田羊)に
暴力を振るわれてきたタイジ(太賀)

「母さんがどんなに僕を嫌いでも」、
それでも母の愛を求めて、真摯に母と
向き合おうとするタイジの物語です。


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確かにこの作品は虐待シーンを含め
本当に心が苦しくなる場面があります。

歌さん曰く「そういう虐待を描くような作品は
心が痛むから見たくない」とおっしゃる方が
いらっしゃるようですが、

でもそれは臭い物に蓋をするのと
同じことではないでしょうか。

そういう優しい心の持ち主にこそ、
目を背けることなくこの作品を観ていただいて
届くべきところに届くよう、
一緒に応援してもらえたらなと思います。

これは
「虐待する大人はひどいよね」
「虐待される子供はかわいそうだよね」
って言わせようとするような作品じゃないから。

観終わった後に感じたのは
恐怖や悲しみなどではなく、

寄り添ってくれる人の大切さ、尊さ。人の温かさ。
人のぬくもりに溢れた愛情の物語です。

だからどんな境遇の人にも安心して
観てもらえるに違いありません。


126ばあちゃん


タイジがすごいのは、どんなにつらい状況の中でも
自分から行動を起こしていったことだと思います。

そして彼がそれを成しえたのは、
彼の心に寄り添って支えてくれる人たちが
いたからこそなのだと。

タイジは一人ぼっちじゃなかった。
だから乗り越えられた。
母さんとの“対決”にも勝てた。

特にキミツ家の家訓が素晴らしすぎる。

「理解は気づいた方からすべし」
理解する力のある方が先に気づくのだと。

戸惑うタイジの背中をぐぐっと押してくれた
キミツさんの言葉が大好きです。

・・・

映画鑑賞後のスピーチで歌さんが訴えていたのは

126切実な願い


すごく印象的な言葉です。


じゃあ、届くべきところってどこだろう?


私は少なくとも3つあると思いました。


その一つは間違いなく、
今まさに虐待を受けている子供たち。

そして辛い過去の呪縛に苦しみながら
今を生きている人たち。

『母僕』は愛と希望の物語です。

この作品が、どうしようもなく
辛い状況の中にある人たちの元に届いたとき、
どう受け止めてもらえるのかは分かりません。

自分もタイジのようになれるはず!という
希望になるのか。

自分はタイジとは違う・・・という
絶望になるのか。

それでも「こういう生き方もあるんだ」という
一つの可能性を示すことには意味があるはず。

だからこそ、この作品が児童文庫化されたのは
本当に素晴らしいことだと思いました。

より多くの子供たちの手元に届いてほしい。




「届くべきところ」二つ目は、
政治や行政に携わり“大きな仕事”ができる人たち。

子供を守りたい、という使命感を持って
現場で奮闘してくれてる人たちがいます。

でも日本では一人の担当者が
200人の子供を受け持つこともあると
言われるほど過酷な現場。

児童相談所での仕事に興味を持っていたとしても
そうした労働環境がネックでその道へ進むのを
ためらう人が出てきてもおかしくない。

人手不足で過酷な労働環境。
だから人手が集まらないという悪循環。

逃げ場を求める子供たちは増える一方で
彼らを守ってくれる場所も、
その担い手も足りていないという現実。

この厳しい現状をより良くするには
どうしたらいいのか。

それはもう、職員一人一人が
もっとがんばりましょうとか
個人の努力でどうにかなる
レベルの問題じゃない。

法律を作ったり、制度を作ったり、
そもそもの仕組みを変えられるだけの
大きな仕事ができる人たちに、
変えてもらうしかないんじゃないか
と思います。



そして最後の「届くべきところ」は
虐待とは無縁の世界で生きている、
子供も大人も含めた全ての人たち。

誰にとっても、
この作品が訴えてる問題は
他人事ではないはずです。


私は本当にありがたいことに
父親にも母親にも家族にも友人にも恵まれて
親子関係に絶望するようなことは一切なく
ここまで生きてくることができました。

虐待やいじめとは無縁の人生でした。
(私が気づいてなかっただけかもしれませんが)

そんなぬるま湯で育ってきたような
私にもできることがあるとしたら
なんだろう・・・と考えたとき。

それはきっと、キミツさんや大将たちのように
誰かに寄り添って支えてあげることなのかな
と思いました。


具体的にどんなことができるのか。
考えてみました。


(1)想像力を働かせること

私にとって身近な問題ではなかったので、
『母僕』を通してこういう世界があることを
教えてもらいました。

映画というはものすごくて、
見る側の感情を揺さぶり
直接訴えかけてくる力があります。

どっぷり感情移入できる。
だから想像力の芽も植え付けられるのだろうなと。


(2)自分以外の周囲に関心を持つこと

たぶん「私には関係ない」って
見て見ぬふりをする無関心が一番怖い。


(3)自分から一声かけること

これ↑来年の活動目標にしようと思ってます。

何か行動を起こせるとしたらその一番最初は
一声かけること、ですよね。

困ってる見知らずの人にいきなり
大丈夫ですか?と声をかけるのは
ハードル高いので、まずは
身近なところから練習したい。

自分から挨拶するとか。
自分から話題を振ってみるとか。

とにかく自分から、ひと声かけてみる。

・・・

私にできること。

正確には、今はできてないけど
今後できるようになりたいこと。


想像力をはたらかせて、
周囲に関心を持つ。アンテナを張る。

そしてそのアンテナにビビっときた時に
自分から声をかけられるようになる。


・・・って、ものすごい理想論だし
机上の空論かもしれないですけど。。。


いろいろと綺麗事を並べ立ててしまいましたが、
こういう綺麗事を言いたくなっちゃうくらい
『母僕』は美しい作品なんです!!( ;∀;)

人々が寄り添いあって、
助け合って行きていけるような
美しい世界であってほしいと
願わずにはいられないような。。。


大変長くなりましたが、
届くべきところまで届くように、
一人でも多くの人に、
この作品を観てもらえますように。

ぜひ、ご家族やご友人、
大切な人をお誘いあわせの上
劇場まで足を運んでみてください!

そして、もし何か心に響くものが
あったらぜひ周囲の人にも
オススメしちゃってください。


11月16日公開です!!
予告がもうやばい。






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よろしくお願いします( ˘ω˘ )

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あとやっぱり思い出すのは
元職場の先輩の言葉。

「クソだと決めつけて、
お前があいつをクソに
したんだ」

ほんとうにそうなのかも。


映画の中でも、周囲の人が
お前はブタだブタだと決めつけたことで
タイジは自分のことを
「僕は何やってもブタなんだ」と
卑下するようになってしまった。

一方で、君はブタじゃないと
語りかけてくれる人がいたから、
タイジは変わることができた。

言葉の力ってほんとうにあるんだなぁ。



先輩の言葉
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